みんなが同じ表現で絵を描くのなら
展覧会に行く意味がなくなっちゃうと思うよ。
たとえばの話、リンゴをピカソが描いても
ゴッホが描いても同じであれば
見に行っても意味がないからね。
ピカソだったらどう描くのだろう?と思うから
見に行くんだよね。
「へぇー! こう表現するのか!面白いな〜」
これが展覧会へ行く楽しみなんだからね。
だから見えるようにただリンゴを描いても
しょうがないんだよね。
自分だったらこう描くよというものがないとね
世界の画家になってる人達で同じような
表現をしている画家は一人としていないと思うよ。
だから本来、絵に描き方はないんです。
それだけに大変だけど、面白いんです。(笑)
展覧会に行く意味がなくなっちゃうと思うよ。
たとえばの話、リンゴをピカソが描いても
ゴッホが描いても同じであれば
見に行っても意味がないからね。
ピカソだったらどう描くのだろう?と思うから
見に行くんだよね。
「へぇー! こう表現するのか!面白いな〜」
これが展覧会へ行く楽しみなんだからね。
だから見えるようにただリンゴを描いても
しょうがないんだよね。
自分だったらこう描くよというものがないとね
世界の画家になってる人達で同じような
表現をしている画家は一人としていないと思うよ。
だから本来、絵に描き方はないんです。
それだけに大変だけど、面白いんです。(笑)
久松誠一作品「二人観音」
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